「捨児」あつかいされる子供たちが、
占領期の別府にはいた。
昭和28年で、45名。
昭和3年で約100名。
当時の新聞記事に
「学齢に達する混血児、教育テストケース対策に悩む別府市」
とあった。
この子たちのことです。
「捨児」あつかいされる子供たちが、
占領期の別府にはいた。
昭和28年で、45名。
昭和3年で約100名。
当時の新聞記事に
「学齢に達する混血児、教育テストケース対策に悩む別府市」
とあった。
この子たちのことです。
延75000件のアクセス、ありがとうございます。
ランキングは高くないし、コメントはすくない。
お友達のブログは
家族がよってたかってコメント書き込みしている。
(居間で話せば!ひがんでる。)
でも、お気に入りRSSは301、
これはこのブログの埃です、いや誇りです。
最初は、フツーに身辺雑記のつもりだったけど、
年を重ねると、過去をふりかえるのは人の常、
別府は面白いし、ネタはきれない。
性格で、ブログは日記だから、まぁいいかとは出来ず、
書くならちゃんと調べてと、資料を漁る。
仕事も忙しいのに、毎日、けっこう大変です。
「占領期の別府」今回の「捨児」問題は、考えたら、
まだその方達が、ご健在でいらっしゃるしで、
ちょっと躊躇してます。
←占領期の別府公園
今は別府公園になっているけど占領期は米軍の駐留基地だった。
昭和32年まであった。出来たのは昭和21年だから11年間も別府に、
「アメリカ村」があったことになる。
松林があるのは今とかわらない風景です。
別府市が困り果てて
沖縄でも同じことが起きたはずだけど・・・
昭和27年4月28日までだよね。
この年、別府市はちゃんと両親揃っているのに
100名あまりの子供を「捨て子」扱いしたんだよ。
でも、それはその子供たちのためにしたことです。
続く・・・・

「焼け跡ばかり見ていた」J子さんにとっては、
大冒険のようでした。
我が家に辿りついて旅衣を解いたときはやはりこれが天下泰平だと思った。
ああ、別府行きはついに終わった。これが過去の思い出として美化される頃友の境遇にもまた色々の変化があることであろう。
「色々の変化があ」ったと思います・・・・・
他の人の作文もなかなかだったけどJ子さんのが一番高女らしかった
「旅衣」とか今度からこれ使いたい。

いよいよJ子さん達の修学旅行も終わりに近づいてきました。
宮島に来たとき皆甲板に上がった、青い海の中に真白いクラゲが何十何百とも数え切れぬ程浮いていた。本当に美しい一日を終えて夕闇の吉浦港に入った。船は桟橋に横たはったときは万事終わったといふ安息を感じ一そうの淋しさがこみ上げてきた。
夕方、吉浦港を出港、船内で一泊、朝、別府について、すぐ地獄めぐり、
夕方すこし自由外出、一泊して、朝湯に入って、もう帰る。
実質したことは「地獄めぐり」だけ!
でもこれだけの作文を書くなんて
広島県立呉第二高等女学校の高女さん達にはやはり「修学旅行」ですよね。
あと少しで我が家ですよ! がんばれ!
続く・・・・
主にオーストラリアの兵隊さんがいた。
福岡の捕虜収容者やなんかからも連行してきて、
精錬所で働かせた。人手不足だったからね。
でも、クリスマスのときに、
捕虜のためにクリスマスのお祝いをしてあげたんだよ。
見よう見まねでパンを焼いたりもして出した。
「みなさん、ハロー、ナイスイブ、
異国で過ごすことはさぞ大変でしょう、
せめて今日は楽しく過ごしてくださいい・・・」
当然、この所長さんは憲兵隊から大目玉をくらったそうです。
でも、ここからは戦後1人の戦犯もだしませんでした。
そのときのパン焼窯がまだあれば
「捕虜のパン」とかなんとか名前をつけて売れば、
きっと売れると思います。
続く

それからやはりお決まりの記念撮影。
上甲板にでて記念撮影をする。向ふはるか世界3番に高いといはれる佐賀の煙突を望む。遊びあきて横になり寝る人本を読む人あたりは少し静かになった。
「佐賀」は「佐賀関」の間違いだと思います。
日鉱佐賀関精錬所です。
小学校の社会見学では「東洋一」だと習いました。
「世界3番目」の言い方はなんだかなぁという感じです。
いじましいというか・・・
敗戦国だからなんか控えめに表現したんですかね。
高さ167.6メートル。
北見山頂近くの海抜126・5メートルの地点にあるから、
先端は標高294メートルになります。
煙害防止のためにたか~くしたんだよ。
戦争中はここに捕虜収容所があった・・・・
捕虜を連行して精錬所で働かせてていたらしい。
続く・・

見はるかす伊予の山々おぼろにて
吾が船はゆく水脈をひきつつ
鏡のような水面を船は滑るように走る。恰も一昨日のいたづらをわびやうに。私達の魂をうたはるように・・・・・
「一昨日のいたづら」というのは、天気が荒れて、船がゆれ、酔ってたいへんだったことです。なんでもない経験のひとつひとうを丁寧に受け止めていま。若い人の作文はこうでなくっちゃね!
心は家路をたどっていることは、視線がすでに「伊予の山々」のほうへ向いていることで分かります。
続く・・・・

(広島県立呉第二高等女学校)
昨夜の疲れでぐっすり寝込んでしまった。今日はもう帰宅の途につくのである。朝湯につかりゆっくり温泉気分にひたる。
7時朝食をすまし支度し整列して桟橋に向かふ、8時半乗船を終えて出帆の汽笛が鳴る・・・・・ さらば思ひ出の湯の町よ。永久に大自然の恵に抱かれて幸くあれ!!
う~ん、もうお帰りですか。
朝湯に入る修学旅行の女学生というのも
なんだか絵になる風景ですね。
たいしたおもてなしもせず、
ただあるのは湯煙をあげる「地獄」のみ、
それでも、J子さんたちは、大感激してくれました。
ありがとう。
でもまだ作文は続きます。
続く・・・・
by whitearth
占領期の別府(250)修学旅行…